『風の中の牝鷄』(1948年、松竹大船 83分)[35mm上映]
監督:小津安二郎、脚本:斎藤良輔、小津安二郎
古典・名作映画ノススメ4 4本目。


むき出しの暴力に熱い抱擁。これではまるで黒澤映画だ。「世界の小津」の名が泣くわ。

風の中の牝鶏 [DVD] COS-020
佐野周二
Cosmo Contents
2007-08-20



生活苦からただ一度、ただ一度だけ、春を鬻いだ妻・田中絹代に、復員兵の佐野周二が手を挙げる。私娼窟の在り処を執拗に問い詰める。止むに止まれぬ仕儀とはいえど、妻の不貞が許せない。

物事を明示的には描かず、暗示的に描くことでは定評のある小津安二郎が、どういった経緯でこうした演出を選択したのか。戦後第二作ということも影響しているのか。




いわゆる「小津的様式美」が確立されるのは、次作『晩春』(1949年)以降のことである。しかしながら様式美の片鱗ならば、この映画にも見て取れる。


田中絹代が春を鬻いだその夜に、一つ屋根の下にいる私娼窟の連中は、階下で雀卓を囲んでワイワイやっている。ここで小津は、彼らの口さがないやり取りのほうを強調し、やや乱れた寝室の様子を映し出す。若妻は惨めな痴態をさらけ出さずに済んだわけだ。

あるいはやはり田中絹代が、退院した息子を病院からおぶって帰る時、にこやかに見送った看護婦の一人が、不意に表情を変え「(あの女は)男好きのする顔だ」と噂をする。思ったことを面と向かって言い放てば角が立つ。陰でコソコソ噂話をすることで、波風を立てずに済んだわけだ。


人間誰しも生きていれば、手垢の一つや二つはつく。その手垢を手垢らしく見せないコツは、微笑を湛えて人と接することである。汚いものは後ろ手でコソッとしまうべし。良くも悪くも日本人。

本音を取り繕う日本的な社交術を洗練させると、「世界の小津の様式美」が完成する。してみるとこの一本、「豆腐しか作れない豆腐屋」に出世する前の小津が、異業種に進出してみて限界を悟った、栄光ある失敗作とも言えそうである。




ところで本作『風の中の牝鷄』。ロケ地は深川に築地に月島と、隅田川周辺に集中している。評論家にして小津研究家・貴田庄の推測によると、「主人公は江東区に住んでいる」とのこと。

戦前、深川に居を構えた小津は、戦後の深川の変化を嫌い、映画の舞台も深川や隅田川から、鎌倉周辺へと移っていく。さてもしも小津が21世紀まで生き長らえて、林立するタワーマンションを目の当たりにしたなら、何と嘆息を漏らすであろう。




〔於 京都文化博物館フィルムシアター J-8
05.11 18:30~19:53〕